長善寺《石山合戦記念館》
ちょうぜんじ
建久年間(1190~1199年)の創建にして最初は賀茂郡西野村(現 竹原市西野町字宗徳)にあって、
大内山長善庵と称し天台宗に属していた。
永世11年(1514年)9月に、玄智坊善恵律師(?~1530年)が真宗に改宗し長善寺と號した。
永禄5年(1562年)・慶長19年(1614年)の両度にわたって被災した。特に慶長19年の時は、
福島正則の軍が、瓦坂を通るのに暗いからといって寺を焼いたとの伝承もある。そして元和元年(1615年)
春に豊田郡入野村字大谷(現、賀茂郡河内町字入野)に移転をした。
しかしここでも元治元年(1864)四月火災に遭い、本堂庫裡とも焼失した。
その後、明治七年(1874)六月、第十八代住職大淳(ダイジュン)によって、現在地に移転する。
大内山長善庵と称し天台宗に属していた。
永世11年(1514年)9月に、玄智坊善恵律師(?~1530年)が真宗に改宗し長善寺と號した。
永禄5年(1562年)・慶長19年(1614年)の両度にわたって被災した。特に慶長19年の時は、
福島正則の軍が、瓦坂を通るのに暗いからといって寺を焼いたとの伝承もある。そして元和元年(1615年)
春に豊田郡入野村字大谷(現、賀茂郡河内町字入野)に移転をした。
しかしここでも元治元年(1864)四月火災に遭い、本堂庫裡とも焼失した。
その後、明治七年(1874)六月、第十八代住職大淳(ダイジュン)によって、現在地に移転する。
『木造裸形着装阿弥陀如来立像』 竹原市重要文化財に指定
令和3年8月26日、竹原市重要文化財に指定されました。
高さ約70㎝、鎌倉時代(13世紀後半)の作で、希少裸形着装像。
衣の着脱ができる阿弥陀如来立像で、中世以前の作例は全国で本像を
含め8体しか確認されておらず、中国地方以西では唯一。
高さ約70㎝、鎌倉時代(13世紀後半)の作で、希少裸形着装像。
衣の着脱ができる阿弥陀如来立像で、中世以前の作例は全国で本像を
含め8体しか確認されておらず、中国地方以西では唯一。
基本情報
住所 | 〒725-0004 広島県竹原市東野町885 |
---|---|
電話番号 | 0846-29-0115 |
営業時間 | 見学時間 9:00~15:00(事前予約制) |
料金 | 無料 |
アクセス | 山陽自動車道河内ICより車で約15分 JR呉線竹原駅より芸陽バス西条駅行き約10分大福地下車、徒歩5分 |
駐車場 | 20台 |
ウェブサイト | 日照山 長善寺 |
備考 | 見学希望の方は、電話にて予約をお願い致します。 団体様 約1時間(本堂30分+記念館30分) |