千本桜守る会のご紹介

バンブー公園が桜の名所になったわけ

 1996年の広島国体でバンブー公園も会場となるため、当時LC会員だった山田素弘さ んの提案で、1994年に竹原ライオンズクラブがスポンサーとなって「メモリアル桜植樹 会」として、花木園で桜の花を植えることになりました。そこで植える人を募集し、まず 74本の桜(ソメイヨシノ)を植樹しました。当初、バンブー公園には設立時172本の桜 を植えてあったそうです。
 そして、バンブー公園を、市民に親しまれる、美しい公園にしたいという山田さんの熱 い想いから、千本の桜を植樹する企画がスタートしました。


千本桜植える会

 山田さんが、昭和12年・13年生まれの同級生の集まり「一二三(ひふみ)会」に呼 びかけ、有志により、1995年に「千本桜植える会」が発足。千本植えるまでは、竹原 LCとの共催で、1996年から毎年、広く一般に植樹グループとスポンサーの募集をして いくことになりました。
 孫やひ孫の誕生記念、結婚記念、企業の創立記念など、植樹した木にはプレートがつけ られ、植樹の場所もどんどん広げていき、桜の成長を楽しみにする方が増えていきました。

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間伐の決断

千本植えるため、理想は10m間隔だが5mでも大丈夫と言われその通りにしたものの、 周囲の山の木も成長するため、10年後には風通しや日当たりの問題が出てきました。下 枝が枯れてき、枯れた木を伐採という処置をしてきましたが、美しい姿が損なわれるよう になり、花木園再生のためには、間伐しかないという苦渋の決断にいたります。
 2012年、スポンサーや植樹グループの理解を得て、花木園の桜は間伐されました。

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間伐材で、四阿(あずまや)の建設

 植樹から16年たった花木園の桜は、大きいものは樹周り90cmのものもあり、その まま放置するには忍びないと、76本の間伐材を利用して、人々が憩える「四阿(あずま や)」を作ることになりました。竹の館の左方面、3月中旬に完成する「さくら亭」です。
 間伐材を乾燥させ、建材として使用。桜の木の曲がりが味となった柱はもちろん、ベン チ、テーブル、袖面など風雅な四阿となっています。天井の彫刻は、市内4中学校の生徒 さんによる作品で、看板の文字は、竹原高校生の作品。干支を彫った正面の背もたれ部分 は、楽しい仕掛けがこらされており、アイデアいっぱいの四阿になっています。

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桜の管理

 桜の管理は当初から「千本桜植える会」が担当。山田さんと村上保さんの2人で、ほぼ 毎朝、早くから訪れて、見て回っているそうです。下草を刈ったり、虫に喰われた木を治 療したり。腐ったところは取り除き、薬を塗って、被害が大きくならないようにしていき ます。近づいてみると、治療を受けた木が多くあり、木が半分になっても立っているもの も。皮1枚でも花が咲くそうで、桜は、すばらしい生命力を持っています。
 バンブー公園の桜は、他地区の桜の名所と比べてもすばらしい景観ですが、その裏には 山田さんたちの大変な努力があり、本当に頭が下がります。

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結成当初の一二三会のみなさん


植樹を始めたころの花木園


山田素弘会長


植樹した木にはプレートが


さくら亭の天井の彫刻づくり


間伐材を活用して、四阿「さくら亭」